完璧主義はなぜ「うつ」になりやすいのか

心理

“完璧主義”とはその名の通り、なんでも完璧に遂行できないと

気が済まない人です。


“完璧にできる人”ではありません。“完璧な状態に近づけるように

努力している人”とも限りません。

積極的に動くどころか身動きのとれない、八方塞がりの状態になっていることが

多いでしょう。


なぜなら、“なんでも完璧にできるひと”というのはこの世の中に一人として

存在しないのに、“完璧にできない自分はみっともない”ということばかりに

着目してしまうからです。


うつ、というのは何もうつ病だけに限ったことではなく、

うつ傾向(よく抑うつという言葉で表現されます)になりやすいという意味になります。

そこからうつ病、摂食障害や不安神経症、パーソナリティ障害など

様々な病理を生むのがこの完璧主義の問題です。


この記事では、「完璧主義とうつの関連性」について

掘り下げていきます。


完全性、道徳、常識への異常なこだわり

完璧主義というのは「こういう自分でなくてはならない」

「こうしなくてはいけない、こうあるべき」という

自分の中でのひとつの規範・期待でもあります。


超自我(スーパーエゴ)の働きが強い状態

精神分析学の父・フロイトは心の構造をエス、自我、超自我という

3つの機関により成り立っていると唱えました。


エスは自分の欲求や感情、衝動をそのまま自我に伝えます。


超自我(スーパーエゴ)は主たる監護者や両親などの人物から

「~してはいけない、~でなくては」という道徳的影響を受け作り上げられる機関です。

また自我がこれに従わずに本能を優先した場合は自分を罰し、罪の意識を

植え付けようとするのもこの機能です(罪悪感のことですね)。


そして自我はこれら二つの要求(つまり衝動や欲望のままこうしたい!という欲求と

こうしなくてはならない、という道徳や常識的要求)を統合し、

現実に対処しようとする機能です。

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つまり、「こうしなくてはならない」という気持ちが強いということは、

この超自我の機能が強くなっているということになります。


フロイトが唱えたこの3つの機関は、バランスがとれなくては

心の不調をきたしてしまいます。


当然ながら、こうしなければこういう自分でなくては、という

超自我の欲求だけを満たし続けてしまうとエスからくる本来得たい

快楽や衝動を満たせないまま過ごすことになるので、

心が感情のままに求めていることが無視されたままなので

当然ストレスがたまるからですね。


かといってエスが強いとなると欲求だけを満たそうとし周りのことはおかまいなし、

ということになりますから、

なにより相互作用によるバランスがとれることがとても重要なのです。


他人の目が気になる

完璧主義による一番の弊害は、

「完璧でない自分」というものを受け入れられない状態になっている

ということです。


完璧でない自分は価値がないし許せない、という感情と、

人間は不完全(欠点もあるしミスもある)であるという事実は

どう考えても相容れません。

それが頭ではわかっていても、心は納得しないのが

完璧主義者です。


そして自身は完全であるかそうでないか?ミスをしているかしていないか?

常識的であるかそうでないか?ということばかり気にするようになってしまい、

他人もそれをジャッジしているという風に捉えがちです。


ひどいときは一挙手一投足が監視され、評価されているかのように

感じるでしょう。

他人の視線や意識が、自分に集まっているかのようにも感じるはずです。

完璧主義だと不登校・引きこもりになりやすい

完璧主義は不登校と引きこもりを生み出す要因にもなります。

それはなぜでしょうか。


“評価されないため”に引きこもる

完璧主義が過ぎて「完璧でない自分」に耐えられなくなった場合、

不登校や引きこもりになるのはある意味必然ともいえます。

人前に出なければ、自分の不完全さを評価されることもないからです。


人前に出て他人の評価の目に晒されることが強烈なストレスに感じる人というのは、

必然的に人から離れていきます。

そのストレスに耐えるよりは孤立する道を選ぶということです。


人間というのは、ストレス回避を「本能的に」行うものです。

人の目に晒されることがストレスになるのであれば、

“そもそも他人の目のないところへ逃げたい”と考えるのはごく自然なことです。


ですから不登校や引きこもりそのものが問題なのではなく、

そこまでストレスに感じるようになった経緯というものが

根本的な要因になっている場合があります。

子どもが完璧主義になる原因

例えば親などの監護者が子どもの完璧ではない部分に対して

寛容でなかったり、騒ぎ立てるような人物だと“親の評価”ばかりを

気にするようになります。


“その言動が正しいか間違っているか”ということばかり指摘する親というのも

同様です(親ではなくて教育上重要な人物がそれを執拗に繰り返すことも

ありますが)。


いつしか子どもがその親の目を自身の中に取り込み、“自己評価”が

著しく低下することもあるのです。つまり、自己肯定感の低い子ども、

劣等感が強い子どもともいえるでしょう。


親の「正しいか正しくないか、おかしいかおかしくないか」という目を

自分の中に取り込んだ子どもというのは自らに対しての評価も

「正しいか正しくないか、常識的かそうでないか」ということばかりを

気にするようになります。


このような場合だと親も完璧主義である場合が多いので、

子どもが不登校であるとか、どういう性格が問題だとか、「子どもだけの

問題であるかのように取り上げてしまう自分の弱さや欠点」は

軽視しがちになったり認められないこともあります。


自分も他人の目を気にするところがある、

という理解や自覚がある親御さんというのは

まだいいほうで、


“他人の目を気にするなんてとんでもない、自分は子育てに熱心で、

いつでも子どものことを思う親らしい親である”

と信じて疑わない親というのは、実は完璧でない自分というものを

認めたくないがためにそう妄信せざるをえないだけ、ということも

少なくありません。


他人からの評価や自らの欠点を素直に認めたくない人間なんだと

気づくことも、それ自体が「自分が完璧でない」証になって

しまうからです。


うつと不登校・引きこもりも関連性がある

ところで、不登校と引きこもりはうつにも関連性があります。

関連性がある、というのは科学的に証明されている、ということです。


不登校であっても、自らのコミュニティを持っていて社会参加がなされている・

社会的な居場所がある場合はこの限りではありませんが、

うつから不登校・ひきこもりになるパターンもあれば、

その逆もある、ということです。


つまりストレスを(人目に晒されること)を避けるために

そのようなコミュニティから自ら外れようとするのに、

それ自体も長期的にみるとストレスになっていくということです。


これを“社会隔離ストレス”といいます(米科学誌「Cell Reports」に掲載された京都大学・

長崎大学教授らの研究グループの論文でも、

社会隔離による脳機能メカニズムで神経伝達が抑制され不安が強くなることが

証明されています)。


つまり完璧主義自体もストレスを生むけれども、さらにストレス回避による

不登校・引きこもりの先に社会参加の機会を完全に失ってしまった状態が

長期化すると不安を強くし、その状況がうつ傾向を生み出し、より社会参加への

機会を失い・・・という負のループに陥ってしまいます。


このような場合だと、完璧でない自分を受け入れられないうちは

社会に出ようとはしないでしょう。

別に完璧でなくてもその個人が受け入れられ、自尊心を傷つけられることもない、

というような経験がない限りはいつまでも自ら孤立するしか

自らを守る方法はないからです。


完璧主義は行動できなくなる

不安が強くなると再び社会参加をすることが難しくなるのですが、

完璧主義者というのはそうでない人よりもより100点に近づこうと

努力はするのですが、それがうまくいかなかったときの

負担というのも完璧主義でない人よりもとても大きくなります。


そうなると、完全性を求めたい(不完全な自分でありたくない)という

現実的な努力を続ける活力がなくなります。そもそもそれは超自我の欲求であって

自分の本能や感情から来るものではないので、

むしろ強迫的なこだわりにも似ているからです。


さらにそれが強烈なストレスを生むとなると、努力するよりも

「こんな努力をしてもなんの価値もないのかもしれない」

「行動して失敗するのが怖い」

という傾向が強くなります。


「こうなりたいという理想はあるが、理想通りにいかない毎日が

腹立たしい」と自分の完全性が叶えられないゆえに行動しなくなり、

しかし完璧主義は簡単には捨て去れないので

「完璧にこなしたい自分」と「現実的には全く完全性を保てない自分」との

ギャップに苦しみ、ただ日常を過ごしているだけでも疲弊してしまって

行動する活力もなくなる、といった状況に陥ることもしばしばです。

生きているだけで疲れる、という表現が正しいかもしれません。


完璧主義者が掃除ができない、片付けが出来ないと揶揄されるのも

これが一つの理由であり、部屋を完璧な状態にしておけないという「失敗」が

ストレスになり行動できず、さらに「100%の状態になるまで片付けができない自分」、

「部屋が散らかっている」事実もストレスになり

「100%キレイにできないなら、やる意味がない」とゴミが散乱している部屋から

完全な部屋を一気に目指そうとし、結果無理であるという毎日を送り

フラストレーションが溜まる・・・という悪循環になりがちです。

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完璧主義者と子育て

子育てに疲れた母親が社会的な関わりを断ち引きこもる、

というようなケースもあります。

子どもはそもそもそういうものであると割り切れる場合とそうでない場合が

あるからです。


完全性を求める者たちにとって、「子育て」というのは

あまりにもハードルが高すぎるのです。


子どもは当然思い通りにはなりません。特に乳児期は

おかまいなしに泣きわめき、要求し、何もできず、

母親の睡眠をさも当たり前かのように奪ってゆきます。


そういう親が「子どもを愛せない」と思ってしまうと、

子どもを愛せない自分(完璧でない自分)を認めきれず

逆に溺愛しているかのように演じたり、

子どもを愛せない自分が悪いのではなく思い通りにならない

子どもが悪いのだ、ということにして

ただせさえ怒りを覚えやすい子育ての苦労に対して

怒りを募らせていったり激昂しやすくなったりします。


ですから子育てに完璧はないのに、

「自分の子育ては完璧だ」と思っている人は非常に危険です。

なぜならその皺寄せが子どもにいっているかもしれないからです。


なぜこんなにイライラしすぎてしまうのか?

自分の子育ては間違っているのではないか?と落ち込みすぎて

引きこもってしまう、第三者からも子育てに対してジャッジされているのではと

不安になるほうがまだ自覚が生まれていて病理性は低いといえます

(低いといっても本人は辛いのですが)。


自分のやりたいことが分からなくなる

エスと自我、超自我と、心理構造をなすこれら3つの機関については

上記に簡単に説明した通りですが、

つまり超自我の要求ばかりを聞き入れていると、

エスが本能を満たせず、フラストレーションが溜まります。


そしてそれが長期的になり「エスの要求が聞き入れられない」ことが

常習化してくると、もはや自分が何をしたい、と思うこと自体が

ストレスを生むのだと考えてしまいます。


ということは何をしたいという要求を押し込んでなかったことに

してしまえ、という心の働きが生まれてしまうのです。


「自分はこういうファッションをしたい」と思っていたとします。

けれども、超自我の働きによって「みっともない服装だ」

「自分には似合わないからもっと地味な恰好をしたほうがいい」

「これを着たら、他人に非常識な人間だと思われるかもしれない」

と過剰に考えてしまうことが当たり前の状況にいると、

自分がそういうファッションに興味があるという本心も封じ込めてしまいます。


「そもそもファッションになんか興味ない」

というような感情が自分の本音である。というように。


自分のやりたいことや本当に求めていることが分からなくなる、自分は

無趣味で何にも興味がないと錯覚することもあります。


欲求が叶えられないストレスをこれで回避しようという心の働きですが、

そもそも欲求を「意識下に出さないだけ」であり

意識下に押し込められた欲求は叶えられないままなので、

それを繰り返しているといつのまにか精神的に辛くなったり

抑うつ傾向になったり、という状況になることもあるのです。


完璧主義はやめたくてもやめられない

完璧・完全主義というのは自己の中での規範や意識なので

辛いからどうにかしたいと思っていてもやめられません。


臨床心理士のカウンセリングを受けるなど、時間をかければ

その「思考の癖」が少しずつ改善(修正)が見込めます。


その個人がいくら辛くても完璧主義になったにはそれなりに理由が

あるでしょうし、なぜ完璧でない自分が嫌なのか?ということを解き明かして

いくほうが何より大事で、そこには個々人のしっかりした理由が

あります。


ただそれには、「私は、完全でない自分を許せない人間なのだ」という

自覚を生むことから始めなくてはなりません。

こういう思考の癖を持つ人にとって、それを自覚し

受け入れるということ自体も至難の業です。


「自分が完全でないことなんて分かっている」という人でも、

実際に社会に出て失敗を恐れて何もできない、あるいは

強烈なストレスを覚えるということだと

「無意識下で、完全ではない自分を認めたくない心理が働いている」

ということになります。


完璧主義な人というのは、完璧主義である自分も鬱陶しく感じて

許せなくなってしまいがちです。

そういう心理の癖、思考の癖というものを修正するに

何段階ものステップが必要になります。


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