子どもの幸せが許せない人の心理

心理

“親は必ず子どもの幸せを願う”とは限りません。

精神的に未成熟な親は、必然的に子どもの幸せを

阻むような精神状態に陥ります。


今回は、いわゆる毒親と呼ばれる存在を親に持っている方に

向けての記事です。


また、

・なぜ、子どもの幸せを阻む親がいるのか

・子どもの幸せを嫌う親の心理的構造

・支配的な親に育てられた子どもの心理特性

 
を知ることができます。

子どもの幸せが許せない人の心理

子どもの幸せが許せない親というのは、

「自分は不幸である」「不遇な存在」

「報われない人生を送っている」「理不尽な思いばかり

させられている」

と思い込んでいます。


「自分は不運な境遇で育ったけど、

あなたには良い人生を歩んでほしい」と

本当に感じている人というのは、

現時点では自分の人生は悪くないと感じています。


しかし世の中には、

「自分は不運な境遇で育ったけど、

あなたには良い人生を歩んでほしい」と

口では言いながら、

子どもの幸せをとにかく許せない親というものが存在します。


不幸な親はみんな“子どもの幸せが許せない”とそう感じるのか?

というとそれはまた別の話で、

問題は

「いつの時代も、どの年齢になったとしても、

どんな環境下に置かれていても

“犠牲者”“被害者”の顔をしていなくてはならない」

親が存在するということです。


「自分は子どもの幸せを願っている」と思い込んでいる

こういう親というのは、

自分が子どもの幸せを妬んでいる、という自覚がない場合がほとんどです。


多くは、

「あなたの人生のため」
「あなたが心配でたまらないから」
「子どもの幸せを願っている」

と公言しています。

それに加えて、「自分は子どもを何よりも大事にしている」

と信じ込んでいるパターンが非常に多くみられるでしょう。

つまり、このような親は“嘘をついているつもりはない”、

というところもポイントになってきます。

自分が子どもの不幸を願っているとか、

そういう人間であるという事実を知りたくない(知る力がない)

からです。

自分と子どもが同じ存在のように感じる

母親が自分の娘を自分そのものとみなしやすい、という例と

同様に、父親に関しても自分の息子を自分そのものとみなしやすかったり

します。

ただ、これは父→娘、あるいは母→息子には当てはまらないかというと

決してそういうわけでもありません。


特に未熟な親というのは、

子どもを使って人生の再挑戦を図ろうとしたり

(例えば映画ブラック・スワンに登場するエリカは、

自分がバレエダンサーになれなかったから、娘であるニナに

バレリーナとしての夢を託し、とにかく彼女の人生に干渉していきます)、

あるいは“自分そのもの”だと思い込んで、

自分と子どもの考えや人生の区別がつかなくなります。


子どもの人生は、子どもの人生です。

どう選択していくかは、子ども自身です。


それが、親が未成熟だとそれに納得いかず、

いつまでも親が選択していい人生であり

自分の思い通りになるべきものだと感じてしまい、

むしろ自分の思い通りにいかないと気が済まない。

いつまでも、その幻想に捉われてしまいます。


つまり、親が子どもに同化していく、

“子離れ”が出来ない状態ですね。

子どもはいつまでも未熟である、と思い込みたい

そして、上記の「自分の思い通りになるべきものである」と

いう考えを正当化する必要があるので、

どこに辿り着くかというと、「子どもの否定」です。


つまり、「子どもはいつまで経っても未熟である」

という考えに行きつき、子どもの言動に対して

「そういう考えが、未熟な証拠」

「あなたの選択は、もっとこうするべきだった」

「自分の考えはこうだから、こうしたほうがいい」

「そういう考えが浅ましくて、はしたない」

という理由づけを無理やりします。


その理由づけを、子どもが繰り返しされてしまうと

「何が正解か分からなくなる」

「自分のやりたいことや考えを主張するよりも、

正解を探さなくては意味がない」

と考えるようになり、

子どもの自己肯定感は著しく低くなります。


しかし、そこに正解はありません。

なぜなら、親自身が「お前は未熟である」という

理由づけをしなくては自分の精神が安定しないから、

ただそう言っているだけだからですね。

親が不幸ならば、子も不幸でなくては許せない

そしてこういう未熟な親というのは、

先述の通り“自分は犠牲者であり、だからこそ

人生がうまくいかなかった。

自分の本当の能力はこんなものではないのに。

自分はいつだって正しいはずなのに”

と、その未熟さゆえに思い込まざるを得ない状況に

陥ります。


この、“自分は犠牲者であり、不幸だ”という精神と

“子離れが出来ない(分離を許さない)”というのがキーポイントで、

未熟な親というのは子どもの自立を極端に嫌います。

「子どもと自分は別存在」、

つまり親は子どもをコントロールすべきではないし、

親の人生と子どもの人生はまた別物なのだ、

というような事実をとにかく排除するのに躍起に

なりがちで、止められません。


そこで最も邪魔になるのが、

子どもの「自立」とか「幸せ」です。


子どもが自立したり、幸せになったりすると、

「あなたと自分は別存在です」「あなたの存在は

必要ありません」とまるで

子どもに三行半を突き付けられた、挑戦状をたたきつけられた

気分にさえなります。


“自分が不幸であれば、

相手も不幸でなくてはならない”

“子どもと親は同一存在でなくてはならない”

そういう感覚のもとで動きます。


ですから、自立や幸せは絶対阻止するでしょう。

恋人と過ごす中で幸せを感じたエピソードを話しても

「あなたが経験不足でまだ何も知らないだけ」と

対して興味を示さないのにも関わらず、

子どもの不幸話や苦労話を

とても生き生きとした表情で聞いたりする親がいるのは、

そういうことでもあります。

子どもは、幸せになることに罪悪感を持つようになる

そういう親のもとで育った子どもは、

「幸せになること」「精神的に自立すること」に対して

罪悪感を持つようになり、

考えることさえやめてしまいます。


そもそも自分の考えを主張することで

親に否定されれば、

自己主張自体が悪い事だと考えるのが子どもです。

自分(親)がこんなに苦労しているのに、
あなたはそれを無視して、のうのうと幸せだと言えるのか。

親を助けようとは思わないのか。

そんな未熟な考え方では、あなたは一生自立できない。

 

そうやって親にいつまでも認められないと、



今度は「親の気に入るような選択肢をとる」

「感情は置いておいて、正しいかどうかだけ考える」ことが

人生において当たり前になってしまうからですね。


そのため、幸せになることが怖かったり、

滑稽のように感じてしまったり、

本当の意味での自立が出来なくなってしまいます。

支配された子どもが自立するためには

子どもと親が二人で歩いている画像

こういう親に育てられた場合、

まずは「自分の親は、こういう存在なのだ」と

割り切ることが重要です。

割り切るとはいっても、

それは親を親とみなさない行為でもあり、

子どもにとってはそれ自体が罪深いと

考えるでしょう。


そういう親は、子どもが自己主張(つまり、親とは

違う意見を述べること=親とは違う存在だと

証明すること)したり、

自立したり・幸せになることを嫌います。


子どもはそれを繰り返すことで、

「やっぱり、自立するのは親を捨てようとするのと同じなんだ」

「こんなことで幸せに感じるのはただ現実逃避しているだけで、

悪い事なんだ」と

考えてしまいます。


そういう風に、“親が仕向ける”からです。


そういう子どもにとって、

自立というのは恐ろしく、まるで反逆であり、

自分を育ててくれた親に対して、今まで

当たり障りなく生きてきた自分の破壊という行為になります。


幸せを感じることも、

ただただ不幸である周りの犠牲の上で成り立っているように

感じます。

ただ、それはいわゆる毒親に刷り込まれた幻想です。

しかし、幻想でも辛いのは事実です。


毒親を切り捨てて幸せになったり自立するには

最初は相当な痛みが伴う、と考えておいたほうがいいでしょう。

それは、あなたが間違っているから感じた痛みではなく、

「子どもを認められるような親ではない」ことを

本当に諦めなくてはならない、

その痛みです。

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